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箆柄暦『九月の沖縄』2019 ティンク ティンク

2019.08.29
  • インタビュー
箆柄暦『九月の沖縄』2019 ティンク ティンク

《Piratsuka Special Interview》

ティンク ティンク『TUNE(チューン)』
~すべての楽曲を私たち自身で作詞作曲しました~

【お詫びと訂正】箆柄暦9月号の紙面記事にて、波名城夏妃さんの漢字が「玻名城」と間違って記載されておりました。たいへん申し訳ございません。正しくは「波名城」となります。上記の通り訂正し、深くお詫び申し上げますとともに、今後同様のミスのないよう、より厳正にチェックを行って参ります。

ティンク ティンクは、沖縄ポップの雄として活躍するりんけんバンドのリーダー、照屋林賢がプロデュースする女性ボーカルグループだ。1998年に結成され、りんけんバンドのホームグラウンドでもある北谷町美浜のライブハウス「カラハーイ」を拠点に活動。途中幾度かのメンバー交代を経て、この春からは我那覇セイラ、波名城夏妃、屋嘉比奈々、譜久村さやかの4名体制となった。現メンバーは全員が子どもの頃から琉球舞踊(以下、琉舞)や歌三線を習い、沖縄の伝統芸能に親しんできた実力派揃い。総合パフォーマンス力の高さは、歴代の中でもトップクラスだ。

そんな彼女たちが2019年9月、グループとしては8年ぶりとなるニューアルバム『TUNE(チューン)』をリリースする。今作では従来の「林賢が作った曲を全員で歌う」方式をやめ、「メンバー自身が作詞作曲し、その曲を自分で歌う」スタイルとなった。今回そのように方向転換したのはなぜなのか、そしてティンク ティンクはこれからどんな未来を目指すのか。プロデューサーの林賢と、メンバー4人に話を聞いた。

●音楽の世界で食べていくには「自分で曲が書けること」が重要

—-では最初にメンバーの皆さん、自己紹介をお願いします。

セイラ 恩納村出身の我那覇セイラです。私は子どもの頃から琉舞を習っていて、2011年にティンク ティンクとしてデビューしました。2014年以降はソロで活動してきましたが、この春からまたティンク ティンクに戻って、一緒に活動することになりました。言ってみれば“出戻り”です(笑)。

夏妃 宮古島出身の波名城夏妃です。中学の頃から宮古民謡を習っていて、2015年にティンク ティンクとして活動を始めました。

奈々 南風原町出身の屋嘉比奈々です。私は3歳から琉舞を習っていて、舞踊集団「童舞 花わらび」で活動していました。南風原高校の郷土文化コースに入学してから三線も始めて、ティンク ティンクに加入したのは2016年、高校2年生のときです。

さやか 北谷町出身の譜久村さやかです。私も小さい頃から、師範である祖母に琉舞と三線を習っていました。去年(2018年)からカラハーイのステージに立ち始めて、今年の春、高校を卒業するタイミングでティンク ティンクのメンバーになりました。

—-ティンク ティンクのオリジナル曲は、これまですべて林賢さんが作ってきましたが、今回リリースするニューアルバム『TUNE(チューン)』では、メンバーの皆さんが作詞作曲をして、その歌をそれぞれ自分自身で歌っていますね。このようなスタイルにしたのは、なぜでしょうか。

林賢 簡単にいえば、一人ひとりが自立したアーティストになって、長く音楽を続けてほしいと思ったからです。

昔、僕は金が欲しかった人間だったので(笑)、歌を歌える子を育てて、彼らに自分が作った曲を歌わせて、それで儲けようと考えてました。でも数年前から、「これは今の自分の生き方には、まったく反しているな」と思うようになって。カラハーイでは(歴代のティンク ティンクメンバーなど)若い子をたくさん育ててきたけど、みんな途中で辞めてしまった。それはたぶん、ステージで歌ってるだけでは将来が見えなくて、最初に抱いていた夢が途切れちゃったからじゃないかと。だとすれば今後は、僕や会社だけがいい思いをするのではなく、ミュージシャンに「音楽でずっと食べていく」ためのノウハウを教えて、一人ひとりが自立して活動できるよう、育てていかないといけない。これまでは、そういう「教え」が足りなかったと反省しました。

それで3年前から、彼女たちに少しずつ詞や曲の作り方を教えるようになったんです。ミュージシャンが音楽の世界で食べていくには、歌を歌えるだけじゃダメで、まずは「自分で曲が書けること」が重要だから。2年前には「Rinken’s Music Dormitory(以下、RMD)」を立ち上げて、本格的にウチナーグチ(沖縄方言)での作詞と、沖縄の音階を使った作曲の方法を教え始めました。ちょうどカラハーイが建て替え工事中でライブができなくて、僕も彼女たちも時間があったので、ここで作詞作曲をマスターしてもらおうと。

—-ミュージシャンがアーティストとして自立するには、曲作りの能力が必須ということですね。

林賢 そうです。彼女たちには、自分の夢を自分で達成できるようになってほしい。曲が作れないミュージシャンは、作詞家とか作曲家とか、プロデューサーとか会社とか、ぜんぶ誰かに頼るじゃないですか。そういうのはちょっとかわいそうだなと思うんです。自分自身でちゃんと音楽活動ができる、まずはそういう人間に育てようというのがRMDの発想です。

ただ、曲が作れても環境が整わなければ、音楽を続けていくのは難しい。たとえばレコード会社では、「このミュージシャンのCDを出すかどうか」の決定権は組織の上の人たちにあって、肝心のミュージシャンは最下層に置かれてるんですよ。とてもいい曲を作ってるのに、レコード会社のディレクターからOKが出なくて、飼い殺しになってる人もいる。じゃあどうすればいいのかな、と考えたとき、僕は「(会社組織の構造自体を)ひっくり返してしまえ」と思ったんです。ミュージシャン自身がトップに立って、決定権を持って活動できる会社を作ればいい。

それでこの秋、「取締役は全員ミュージシャン」という新会社を立ち上げることにしました。ティンク ティンクのメンバーが「取締役社長」になって、会社の株も持って、僕の経営する「アジマァ」という会社からカラハーイを借りて、自分たちで運営していきます。この会社では彼女たちがトップだから、ここで何をやろうと彼女たちの自由。彼女たちが「これをやる」と決めたら、それで決定です。もしかしたら今後は「りんけんバンドのカラハーイ出演は、(今のように毎週ではなく)年に1回でもいいんじゃない?」って言われるかもしれません(笑)。

—-ミュージシャン自身が全部自分たちで決めて、活動していくと。

林賢 そうそう。今までのミュージシャンって、どこかに雇われて音楽をやってたけど、そういうスタイルはもう止めてほしい。無理に営業するより、もっと自分たちを信じて、いい曲を作って、それで売れるようになるほうがいいでしょう。そのためにもRMDでは作詞作曲だけでなく、アレンジやレコーディング、録音ソフトの使い方、映像の編集方法などのノウハウも教えていきます。今はまだ完成度は低いかもしれませんが、まずは「自分でやってみよう」という姿勢が大事。彼女たちは全員もともとの実力がすごいし、それぞれに個性もあって、作る曲も面白い。僕はみんな4~5年も経てば一流になれると思ってますし、彼女たち自身もそういう覚悟でやってるから、きっと楽しい会社になると思いますよ。

ただ、会社の取締役である以上、曲が作れればいいというわけではなくて、音楽ビジネスに必要な楽曲管理の契約とか著作権の知識、経営の方法などの勉強も必要です。彼女たちにはヤワなミュージシャンでなく、ずっと音楽で食っていける「ちゃんとしたミュージシャン、ちゃんとした経営者」になってほしいので。それに僕らがこれから相手にするマーケットは、東京とか日本国内じゃなく、アジアや世界です。彼女たちを、世界で活躍できるアーティストに育てていきたいですね。

●作詞作曲ができるようになって、見えてきた夢や目標がある

—-今回のアルバムには、メンバー4人の自作曲がそれぞれ2曲ずつ入っています(アレンジと補作詞は林賢が担当)。皆さんは作詞・作曲に初挑戦してみて、いかがでしたか?

セイラ 私は以前から「自分で曲を作れるようになりたい」と思っていたので、RMDで作詞と作曲を習うことになったときは、すごい!と思いました。実際に始めてみたら、「自分の思いを伝えられる機会ができたこと」が、すごく嬉しかったです。私は去年(2018年)の春に出産したんですが、子どもを産んでステージを休んでいる間、自分一人だけが世間から取り残されたような気がして、「早くステージに立ちたい」と焦っていました。子どもを産んだ女性には、同じように感じている人も多いんじゃないかな、と思ったとき、そういう人に勇気を与えられるような歌が作りたい、と思ったんです。

あと、子どもが生まれたことで(世の中に対して)言いたいことも増えてきたので、それも歌にしていけたらと。とはいえ、今の時点ではまだまだ、自分の言いたいことをウチナーグチの歌詞では表現しきれていないので、もっともっとがんばりたいですね。いずれは女性らしい美しいウチナーグチで、自分の思いや考えを伝えていきたいです。

夏妃 私は作詞作曲を学べると知ったとき、まずは「よっしゃ!」と思いました(笑)。これは故郷の宮古島の民謡を盛り上げるチャンスだ、と。

私は中学1年生から宮古民謡を習い始めたんですが、宮古島では、昔の宮古民謡の素晴らしさが、まだ発掘されきってないと思うんです。民謡居酒屋では、宮古民謡じゃなく沖縄本島の島唄ポップスばっかりがウケてたりするし、「宮古民謡は結局、おじいやおばあしか聞かないよ」って言われてたりもしている。もちろん、私より年上の世代で、宮古民謡を大切に歌っている方たちもいますが、今20代の私が宮古の民謡を盛り上げていくことも、とても重要だと思うんです。私が昔の宮古民謡を大切にしつつ、それをベースに新しい宮古の歌を作っていけば、私と同世代の若い人や小さな子供たちも、宮古民謡の世界に入りやすくなるんじゃないかな、と。

そして林賢さんから学んだ「自分の足下にあるルーツを大切にすること」の意味も、大事に考えていきたいと思っています。実は今、宮古島は観光バブルのまっただ中で、開発が進んで風景がどんどん変わっているんです。でも、島の形は変わっても、宮古島の核である文化や民謡は、ずっと人々の中で生きているはず。将来的には、宮古島に住んでいる同世代の若い人たちと一緒に、カラハーイのようなショーができる場所を作って、宮古島の文化をもっと盛り上げていきたいです。

奈々 私の場合、作詞作曲への挑戦は不安が1~2割、残りは楽しみ!って感じでした。始めてみると難しい部分もあったんですが、林賢さんが「壁にはぶつからせないようにするから。ちょっとでも悩んだら、すぐに相談して」って言ってくれたので、わりと自由自在に作れている気がします。

ただ、ウチナーグチでの作詞はやっぱり難しいですね。私はウチナーグチは聞き取りはできるけど、自分でしゃべることはできなくて、それを歌詞にするのはさらに難しい。でも、いつかはウチナーグチですらすら歌詞が書けるようになって、自分が生まれた島の音楽や沖縄の音階をベースに、自分で考えた新しいアイディアも取り入れて、自分なりの沖縄の歌を届けられたらと思います。

さやか 私も作詞や作曲に興味はあったんですけど、やり方がぜんぜんわからなくて。三線も工工四(くんくんしー:三線用の楽譜)を見ながら弾いてるだけで、自分の中に伝えたい思いとか、作りたい曲のイメージはあっても、どうすればそれが形になるのか、まったくわかりませんでした。

でもRMDに入って、林賢さんから作詞作曲のやり方を学んで、自分が伝えたいメッセージや作りたいリズムを、形にすることができるようになりました。これからもっと勉強して、自分一人で曲作りができるようになりたいです。あと、私は今、林賢さんから作詞作曲だけでなく、録音機材の使い方とか、映像の編集方法とかも習ってるんです。今後は林賢さんから吸収できるものを全部吸収して、いずれは祖母の琉舞道場を、カラハーイのようにライブができるスペースにしていけたらいいな、と思っています。

—-皆さんがそれぞれに夢や目標を持って、真剣に音楽に取り組んでいることが伝わってきます。CDに収録されているオリジナル曲も、一人ひとりの個性が発揮されていて面白いですね。

林賢 彼女たちにはそれぞれに違う魅力があって、「よくこれだけの人材が揃ったな」と思います。セイラさんは一番年上で、ステージ経験も豊富だから先輩として頼りになる存在だし、夏妃はエネルギーあふれる宮古島で生まれ育っただけあって、人一倍ガッツがある。奈々は人が見ていないところでも練習に励む努力家で、根性もあるし粘りもある。そしてさやかは一番若いだけあって、僕らとはまったく違う感覚を持っているし、何を教えても吸収が早い。今のところ、レコーディングや映像編集を覚えさせてるのはさやかだけですが、いずれは全員にやってもらうつもりです。まずは一人ができるようになれば、だんだんみんなできるようになりますから。

—-林賢さんがこれまで培ってきた知識やノウハウを、彼女たちにすべて教えるつもりだと。

林賢 そうです。僕がなぜそうしようと思ったかといえば、僕自身は先輩方から何も教えてもらえなかったから。みんな自分のことで手一杯だったし、自分のことが可愛いから、若手には絶対に(音楽の知識やノウハウを)教えようとしなかった。でも、僕が若い頃に先輩方からもっといろいろ教わってたら、ミュージシャンとしてもっと早く、もっと上のほうまで行けたんじゃないかと思うんです。彼女たちには僕よりさらに高みを目指してほしいので、今のうちに僕が体験したことをぜんぶ何でも、惜しまずに教えています。「壁にぶつかったときはどうするか」なんて話も含めてね(笑)。

●この4人だからこそ、実現できるステージがある

—-さて、今後はこの4人でティンク ティンクとして活動していくわけですが、皆さんは4人のチームワークについて、どのように感じていますか?

セイラ 私は、他の3人の実力がとにかくすごいなと思っていて。歌い方も三線の弾き方も、技術的にものすごいレベルなので、私も彼女たちをお手本に、みんなにしがみついてがんばろう!と思っています。4人の声が重なると説得力が増すので、一緒に歌っていて心強いですね。

夏妃 「みんなが先生」という気持ちは、私も同じです。他の3人は小さい頃から琉舞を習ってて、沖縄の音楽にも親しんでいるけど、私は宮古民謡を始めたのが中学生になってからで、三線も上手くないし踊りもできないし、太鼓も叩いたことありませんでした。そんな中で、セイラさんや奈々がいろいろアドバイスをくれたり、相談に乗ってくれたり、諦めずに一緒にやってくれたことに、とっても感謝しているんです。あと、さやかのハキハキした受け答えとかも勉強になってるし、みんなからいろいろ吸収させてもらって、私はこの中で一番ラッキー!と思ってます(笑)。

奈々 私もみんなから学ぶことはたくさんあります。あと、セイラさんとさやかが加入する前、夏妃と2人で(ティンク ティンクとして)活動していたときと比べると、表現の幅が広がるというか、「2人ではできなかったことが4人ならできる」ってことも多くて、それも今ステージをやっていて楽しいところです。

さやか 私は一番年下ですが、とっても生意気なんですよ(笑)。でもみんな、本当のお姉ちゃんのように優しく接してくれるんです。敬語も下手くそだけど、許してくれて。みんなが家族のような存在だから、この場にいられることがとっても嬉しいです。

—-では最後に、ニューアルバム『TUNE(チューン)』のPRをお願いします。

セイラ はい、私の曲はさておき(笑)、みんなの曲はとってもいい曲です!

夏妃 いえいえ、どれも一人ひとりの個性が出ていて、全部いい曲です! 私たち4人のスタートとなる作品なので、宮古の方や沖縄の方はもちろん、ウチナーグチがわからない日本の方も外国の方も、さらにいえば地球上のすべての生き物にも、聴いてもらえたらと思っています(笑)。「歌は地球語」って言いますし。

奈々 私もたくさんの方に聴いてほしいですが、特に「これから曲作りをしてみたいな」って思ってる方に聴いてもらえたら嬉しいですね。私自身、作詞作曲を始めてまだ間もないですけど、それでもこうやって形にすることができるんだよ、って伝えたいので。

さやか 本当に、いろんなところのいろんな方に聴いてほしいです。全曲オススメです!

ティンク ティンクが活動の拠点とするカラハーイでは、現在、土曜を除く週6日、彼女たちのライブが楽しめる(土曜はりんけんバンドが出演)。曲目は沖縄の島々の民謡や、りんけんバンドのカバーを中心に、今後はCDに収録したようなオリジナル曲も増える予定だ。CD自体も第2弾を制作中で、年末にはオリジナル12曲入りのアルバムリリースを目指しているとのこと。4人の個性が味わえるCDと、華やかで迫力満点のステージ、ぜひ共に楽しんでいただければと思う。
(取材&文・高橋久未子/撮影・喜瀬守昭)

※表紙写真左下から時計回りに

我那覇セイラ(がなは・せいら)
恩納村出身。幼少から琉球舞踊を習い、2011年にティンク ティンク加入。2014年からソロ活動を始め、2016年に1stアルバム『故郷』をリリース。2019年よりティンク ティンクの活動を再開。琉球古典芸能コンクール舞踊優秀部門で優秀賞受賞。

波名城夏妃(はなしろ・なつき)
宮古島市出身。中学生の頃から宮古民謡を習い、2015年にティンク ティンク加入。宮古民謡コンクールで最高賞受賞。

屋嘉比奈々(やかび・なな)
南風原町出身。幼少から琉球舞踊を習い、舞踊集団「童舞 花わらび」に所属。南風原高校郷土文化コースに進学し、在学中の2016年にティンク ティンク加入(2018年に高校卒業)。

譜久村さやか(ふくむら・さやか)
北谷町出身。幼少から師範である祖母の指導のもとで三線と琉球舞踊を習い、2019年にティンク ティンク加入。琉球民謡伝統協会民謡コンクールで最高賞受賞と教師免許・グランプリ取得、琉球古典芸能コンクールで舞踊の部優秀賞・三線の部新人賞をそれぞれ受賞。

[CD Info]
ティンク ティンク『TUNE』(チューン)

アジマァ
Rinken-2047
2,000円(税別)
2019/9/7発売

サシバ/旅ぬ道印/恋風/シーグラス/やらう道/おばー黄金言葉/恋ぬ道あがた/さらば黄金森

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