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2019年12月03日 火曜日

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箆柄暦『三月の沖縄』2020 新良幸人

《Piratsuka Special Topics》

新良幸人
~大好きな那覇の街で、これからも歌い続ける~

石垣島の中でも特に芸能の盛んな白保地区で生まれ育ち、現在は那覇を拠点に全国でライブ活動を行うボーカリスト、新良幸人(あら・ゆきと)。艶やかでエモーショナルな歌声と、繊細かつダイナミックな三弦プレイで、ソロはもとより、沖縄音楽と洋楽を融合したロックバンド「パーシャクラブ」、宮古島出身のシンガー・下地イサムとのユニット「THE SAKISHIMA Meeting」、ピアニスト・サトウユウ子とのデュオなど、さまざまなスタイルで活躍してきた。

その彼が、自身の核となる八重山の民謡を中心に、パーシャなどのオリジナル曲も交え、同郷の島太鼓奏者・サンデーとともに1993年から行ってきた那覇でのライブシリーズが、2020年4月26日(日)の開催をもって、ついに第100回の節目を迎える。幸人が「今後もずっと続けたい」と語るこの“那覇ライブ”について、そしてボーカリストとしての活動について、これまでの歴史も振り返りながら語ってもらった。

●那覇のおかげで、今の新良幸人がある

新良幸人は1967年生まれ。小学校6年生の5月から父の故・新良幸永に師事して八重山民謡を学び始め、その年の秋に「八重山古典音楽コンクール」の新人賞に合格。17歳のとき、同コンクールの最高賞に当時最年少で合格し、民謡界で大きな注目を集めた。高校卒業後は沖縄本島の大学に進学し、那覇を拠点にライブ活動を開始。そして22歳のとき、「これからは音楽一本で生きていく」と決意し、本格的にボーカリストへの道を歩み始めた。まずは、その当時の話から聞いていこう。

—-幸人さんが大学入学後、最初にライブをやり始めたのは、那覇のバーだったそうですね。八重山民謡を歌うにあたって、民謡酒場ではなくバーを選んだのは、なぜでしょう?

幸人 俺が若い頃の民謡酒場はつまらなくて、「ここは音楽をやる場所じゃない」と感じてたから。自分が歌うなら、島酒でなく洋酒を置いてて、洋楽を流してるところがいいと思って、知り合いに「カウンティフェア」という店を紹介してもらって、歌うようになった。その店で出会ったジャズやロックの先輩達が俺を可愛がってくれて、一緒に遊んでくれたのが大きかったな。彼らと演奏する中で、歌にも三弦の弾き方にもいろんな発見があって楽しかったし、その後、那覇でパーシャのメンバーとも出会ってバンドを始めて、そのおかげで今の演奏スタイルができあがったんだと思う。

—-石垣島でもコザ(沖縄市)でも東京でもなく、那覇の街が「今の新良幸人」を育てた、と。

幸人 そう。だから俺、とにかく那覇が好きなのよ。那覇だったから、こういう歌い方ができてきたんだと思うし。

—-その「那覇でできた歌い方」というのは、たとえばどんなことでしょう?

幸人 三弦で、一番と二番の間にソロ的なフレーズを弾くとかね。あと、三番まである歌だったら、歌詞を歌うのは一番と三番だけで、二番は三弦でメロディだけ弾くとか。そのメロディはフェイクすることもあるし、工工四(楽譜)に忠実に弾くほうが面白いときは、素直に弾いてもいいし。

あと、洋楽の人達と一緒に遊ぶ中で、「音楽にはキー(調)ってものがある」と知ったのも大きかった。「このキーならこのチンダミ(調弦)が合うな」とか、「このスケール(音階)なら三弦はこうやって弾けば遊べるな」とか、だんだんわかるようになってきて。そのうち、わざと音を外す面白さなんかも知って、楽しくってしょうがなかったよ。(音楽の新しい楽しみ方を)見つけてしまった!みたいな感じが、すごくあった。

—-そんな感じで、ジャズのライブにも飛び込んでいって三弦を弾いたり?

幸人 いや、沖縄のジャズマン達は、俺に自由なソロはあんまりやらせてくれなかった(笑)。歌を歌わせてくれたり、「三弦はここでこう弾いてね」とか教えてくれて、それで基礎はだいぶ学んだけど。むしろ「好きに弾いて」って言ってくれたのは、山下洋輔さんとか渡辺香津美さん、坂田明さんのような(日本のジャズ界のトップにいる)人達。彼らは懐が深いから、若造の俺が何をやっても、一緒に楽しく遊んでくれたんだよね。当時の俺は、彼らのことはよく知らなかったから、平気でバトルしてたんだよね、「俺のほうがうまい」とか思って(笑)。今にしてみれば「知らないって怖いわー!」だけど(笑)。

●那覇の街で歌う場所が欲しかった

そういったバーやライブハウスでの演奏経験を経て、幸人は1993年にパーシャクラブを結成する。那覇で活動する作編曲家であり、同年までりんけんバンドのベーシストを務めていた上地正昭の誘いがきっかけだった。幸人はパーシャクラブで、沖縄音楽と洋楽の融合に本格的に取り組み始めると同時に、長年の相棒である島太鼓奏者のサンデーと共に、那覇で八重山民謡を中心としたソロライブシリーズをスタートさせる。それがこのたび100回目を迎える「新良幸人ライブ」だ。当初の会場は、沖縄県庁向かいの老舗百貨店、デパートリウボウ内にあった「リウボウホール」(2014年1月閉館)。この会場は、幸人にとって特に思い入れの深い場所だという。

—-リウボウホールで「新良幸人ライブ」を始めたきっかけは?

幸人 もともとサンデーと二人のライブは、毎月、国際通り沿いのビル地下にあったライブハウス「沖縄ジァンジァン」でやってたのよ。ずっと「新良幸人が那覇で歌うなら、ここ」っていう場所が欲しいな、と思ってて、ジァンジァンもすごく好きなハコだったんだけど、1993年の秋頃に閉館しちゃって。じゃあ次はどこでやる?ってなったとき、「あ、リウボウホールがあるな」って。

リウボウホールはデパートの7階にあったけど、窓がなくて、扉を閉めて電気を消すと真っ暗になって、客席や楽屋の雰囲気もジァンジァンと似てて、すごく好きだったんだよね。それで「リウボウカルチャーコンプレックス」というタイトルをつけて、リウボウホールで歌うようになった。最初は毎月やってたから、そのままいけば8年くらいで100回に到達してたはずだけど、那覇という街の(客の)キャパシティを考えると、毎月ってのはどうなのかな、と(笑)。俺はいつでも歌いたいけど、やっぱり「聴き手に請われて歌いたい」というかね。みんなが「そろそろ幸人の歌が聴きたいな」と思うのはどのくらいの間隔かな、とバランスを見ながらやっていくうちに、年に数回のペースになっていった感じかな。

—-そうして結果的に、100回到達まで27年の月日がかかりました。会場は2014年以降、リウボウホールから那覇の桜坂劇場に移りましたが、この27年間で、ライブの内容にも変化はありましたか?

幸人 徐々に変わっていったかなあ。最近は内地を旅してライブする機会が多いから、その中でいろいろ試して見つけた新しい歌い方を、那覇のライブで披露して「今、この歌はこんな風に歌ってるんだぜ」って報告する会、みたいになってるね。旅先でのライブだと、会場に来てくれるのは全員が俺のファンで、俺のこと大好きだってすぐにわかるから(笑)、いろいろ自由にやれるところがあるんだけど、沖縄のライブは俺のことが好きで来てる人だけじゃないから(笑)、やっぱり「ちゃんとしなきゃ」と思うし、未だに緊張する。

あと、ジァンジァンの頃は八重山民謡しか歌わなかったけど、今はパーシャやサキシマのオリジナルも歌うし、沖縄本島の民謡も歌うようになった。本島の民謡は当時も知ってたし歌えたけど、若い頃は「この歌の背景を知らない俺が歌うべきではない」と思ってたんだよね。でも、だんだん「歌の背景を“知ってる”ってどういうこと? 知らないなら想像すればいいでしょ」って思えてきて。俺がその歌の背景を想像して、「なんて美しいんだろう」って感じたら、それこそが真実だし、俺のほうが正しいだろうと(笑)。もし聴いた人がみんな「(お前の歌い方は)違う」と言っても、曲を作った人はきっと「いや、お前が歌って大丈夫」と言ってくれるって、勝手に思えるようになった。

—-それはパーシャクラブやTHE SAKISHIMA Meetingがオリジナル曲を作る中で、自分で歌詞を書くようになったことも影響してますか?

幸人 それはあるだろうね、きっと。自分で歌詞を書いてみて初めて、昔の人が書いた歌詞の奥深さを知った、というか。ただ、俺自身はシンガーソングライターじゃなくて、ボーカリストだからね。本当は歌詞を書くのも好きじゃない(笑)。さらにいえば「八重山民謡の歌い手」でもなくて、「ボーカリストである俺が、好きで選んで歌ってる曲の中に八重山民謡がある」ってだけでさ。美しいメロディや、ロマンチックなストーリーのあるラブソングが大好きだし、いつも歌の主人公の側にいるつもりで歌ってる、そこは今も昔も変わらないな。

●ボーカリストとして、ちゃんと在りたい

—-では、このソロライブシリーズに限らず、幸人さんのライブにおいて「変わっていないこと」って、他にもありますか?

幸人 毎回必ず「こうありたい」と思ってステージに立ってるところかな。「ボーカリストとして、ちゃんと在りたい」という思いは、すごくある。それは「きれいに歌いたい」とか、曲を「届けたい」とかじゃなくてね。歌をきちんとそこに置いて、持って帰りたい人には持って帰ってもらえるようにしたい、というか。

あと「慣れたくない」という思いもある。歌にはきちんと型にはめて歌ったほうが美しい歌と、そうじゃなくてもいい歌があって、その区別をつけたうえで、ライブの内容は毎回違うというのがステキだなと。自分で「今日の歌は、また違うふうに歌えているな」って感じられたら大丈夫かな、と。

ただ、ライブ中は「今日の俺、最高!」って思って歌ってても、打ち上げが終わって家とか宿に帰ると、だいたいいつも自分の歌を思い返して「あー、またカッコつけてしまった俺、恥ずかしい!」ってなるんだよね(笑)。特に、ちょっと(歌を)こねくり回して、誰でもやれるような小洒落た節回しで歌っちゃったときとかは、翌日もう死にたくなる(笑)。「マライア・キャリーか、お前は!」と(笑)。めっちゃ洒落てるのはいいんだけど、小洒落てるのは(自分で自分に)腹が立つのよ。まあ3~4日も経つと、「そういう歌い方が恥ずかしいって、自分でもちゃんとわかってるんだな」って思って少し安心して、それはそれで許せたりもするんだけどね。これも昔から変わらないなあ。

—-そんなライブを見に来てくれるお客さんは、幸人さんにとってどういう存在でしょう?

幸人 何だろうな…俺に寄り添ってくれる恋人みたいな感じだよね。「ありがたい」っていうのとも違ってて、その場に一緒にいて、お互いに目撃し合ってる、みたいな。だから勝手にすごい絆は感じてるし、「こんなバカな俺に付き合ってくれてるあなたたちは、なんてステキなんだろう」って、いつも思うよ。

お客さんも俺も、同じ時代を生きて、一緒に年を取って、いつか一緒に消えていく。それはすごく切なくて悲しいことだけど、でも、とても美しいことでもあると思うんだ。俺がいなくなって俺の歌が消えても、音楽はなくならないし曲は残る、それが音楽の素晴らしいところだと思うから。だからこそ今、俺がこうして音楽の現場にいられるのは、本当に素敵なことだと思う。

—-では今の幸人さんは、若い頃の幸人さんが目指していた場所に到達している感じですか?

幸人 いや、やっぱりまだまだ先はあるんじゃない? 今でも「あの歌を歌ってみたい」って曲は(新たに)出てくるし。ただ、ライブのレパートリーって、実はそんなにたくさんは要らないな、とも思ってて。本当は20曲くらいを使い回して、一生暮らしていきたい(笑)。あと、八重山民謡の「月ぬ真昼間(つくぃぬまぴろーま)」とか「大浦越路(うふぁらくぃつ)」とか、フルで歌ったら10分以上かかるような歌だけ選んで、前半2曲、後半2曲で正味1時間、みたいなライブもやってみたい。これはやるほうも聴くほうも、体力が必要だけどね(笑)。

そんな「道の途中」にある新良幸人の記念すべきソロライブ100回目は、相棒のサンデーに加え、豪華ゲスト(詳細は後日発表)も交えて盛大に開催される予定だ。50代に入り、より円熟味を増した幸人の歌三弦を、この機会にじっくりご堪能いただければと思う。(取材&文・高橋久未子/撮影・萩野一政)

新良幸人(あら・ゆきと)

1967年、石垣島白保生まれ。11歳から八重山民謡を父・幸永に師事し、17歳のとき当時最年少で八重山古典音楽コンクール最高賞に合格。大学進学後は那覇を拠点にライブ活動を開始。1993年にパーシャクラブ、2004年にTHE SAKISHIMA Meetingを結成。

オフィシャルサイト https://yukito.arize.jp/

◆新良幸人 ライブvol.100
http://sakura-zaka.com/event-info/28059
日時:2020/4/26(日)16:00開場/17:00開演
場所&問合せ:桜坂劇場ホールA(那覇市) TEL.098-860-9555
料金:前売4,500円/当日5,000円 ※1ドリンク別途

◆新良幸人presents 第30回 一合瓶ライブ
https://yukito.arize.jp/
日時:2020/6/20(土)
場所&問合せ:桜坂劇場ホールA(那覇市) TEL.098-860-9555

◆パーシャクラブ LIVE 2020「His’Try(ヒストリー)」
※本公演は新型コロナウイルス拡散防止のため中止となりました。
http://parsha.myhp.me/
日時:2020/3/14(土)19:00開場/20:00開演 ※16:00より入場整理券配付
場所・問合せ:MOD’S(北谷町) TEL.098-936-5708
料金:前売3,800円 ※1ドリンク付(ドリンク代が500円を超える場合は受付で差額を支払い)

※前売券が予定枚数に達したため予約受付終了(キャンセル待ち受付も終了)

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