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2019年12月03日 火曜日

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箆柄暦『九月の沖縄』2020 與那覇有羽

《Piratsuka Special Topics》

與那覇有羽
~与那国の唄は、島の暮らしや人の一生と共にある~

沖縄本島から約509km、東京から約1900km、そして台湾まで約111km。日本の最西端に位置し、島の言葉で“どぅなん”と呼ばれる与那国島には、古くから伝わる伝承歌やわらべ歌、民謡、歌謡など、独自の唄が数多く残っている。そのうたに幼少から慣れ親しみ、島の祭りや行事で歌い継いできた與那覇有羽が、2020年9月に、初のソロアルバム『風の吹く島~どぅなん、与那国のうた~』を全国リリースする。沖縄本島の民謡とも、八重山・宮古の民謡とも異なる与那国の唄にはどのような特徴や魅力があり、彼はその唄とどのように向き合ってきたのか。その体格同様に力強く逞しく、朗らかで豊かな声で歌う彼に、これまでの活動歴なども含め、唄や島への思いを語ってもらった。

●与那国の唄の特徴は「どぅなんむぬい(与那国語)」

—-今回のアルバムには、タイトルにもあるとおり「与那国の唄」だけが21曲収録されています。どの曲も、與那覇さんが昔から歌ってきたものですか?

與那覇 そうですね。ただ、中には今まであまり歌う機会がなくて、今回収録するために改めて勉強した曲もあります。選曲のときは「これが与那国の唄だ」と、はっきりわかる曲を入れたいと思いました。

—-与那国の唄の特徴とは、何でしょう?

與那覇 与那国の民謡が他の島の民謡と大きく違うのは、言葉ですね。旋律は他の島の唄と共通するものもありますが、どぅなんむぬい(与那国語)で歌うと拍のリズム感が変わるから、曲全体の節回しも変わって、印象が違ってくる。たとえば八重山民謡の「とぅばらーま」は朗々切々と歌いますが、与那国の「どぅなんとぅばるま」はメロディに起伏があって、歌い回しも力強い。同じ曲でも、与那国式にアカペラで歌ったらこんなに変わるのか!って驚くと思います。「ゆさぐい節」も、八重山民謡では「よさこい節」という曲で、元曲は高知の民謡ですが、与那国語になると言葉が増えるからリズムが違ってきて、まったく違う曲に聞こえるんですよ。

あと、与那国の唄はもともとアカペラで歌われていたので、まだ三線ときれいになじんでなくて、ざらっとした感じが残ってるんですね。僕はそれがとても好きだなぁと。子供の頃、自分の気持ちを即興で唄にして、三線なしでさっと歌える人が周りにいて、かっこいいなと思っていたから、“三線弾いて上手に歌うだけが唄じゃない”というのはずっと思っていて。不特定多数の人に聴かせる唄というより、歌うことで自分を励ましたり、誰かと会話したりする。それが与那国の唄であり、与那国の唄の魅力だと思います。

—-唄で会話することもできるんですね。

與那覇 たとえば数年前、知り合いの家の三三回忌に参加したとき、法要が終わった後でその家の婿さんが「とぅばるま」を気持ちよく歌い始めたので、僕も(その歌詞の内容に応える形で)「とぅばるま」を返したんですね。そうしたらもう一人別の人も入ってきて、3人で「とぅばるま」をぐるぐる回し始めて。なかなか終わらないから、僕が「もっと歌いたいけど、もう家に帰らないといけないから、元気でね」って歌ったら、「そんなこと言わないで」って返されて、終わらないループに入っちゃった(笑)。みんな、決して聞き惚れるような(上手な)唄ではないんだけど、そうやって唄でどんどん会話するんです。

—-與那覇さんはいま34歳とのことですが、同年代やもっと若い方にも、そういう文化は継承されているのでしょうか。

與那覇 実際に「はい、唄で掛け合いしましょう」となったとき、即座にやれる人はどれだけいるかな、とは思いますが、ただ、島の唄は若い人も知っていますよ。僕は島の行事で地謡(唄三線の伴奏)をするから、人の目に触れる機会が多いけど、表に出てこない人達もみんな、ばあちゃんやじいちゃん、父ちゃんや母ちゃんとの思い出とともに、島の唄を受け継いでると思います。僕が法事やお祝いでどこかの家に呼ばれていって、三線を弾いたりすると、途中からいろんな人が唄に合わせて歌ったり、踊り出したりしますから。

●島に帰らないと歌えない唄がある

—-與那覇さんが今回のアルバムを作ることになったきっかけは?

與那覇 昨年(2019年)夏、リスペクトレコードから『失われた海への挽歌』という民謡集が発売されたとき、那覇でのリリース記念ライブに足を運んだのがきっかけです。僕はそのアルバムをプロデュースした“島唄解説人”の小浜司さんに、高校生の頃からお世話になっていて。僕はもともと小学生から島で三線を弾き始めて、周囲のいろんな人に島の唄を教わりながら育ったんですが、中学卒業後は(沖縄本島南部にある)南風原高校の郷土芸能コースに進学して、那覇に出たんです。その頃、小浜さんが那覇で「まるみかなー」という島唄カフェを経営していて、そこに通ってはいろんな民謡のレコードを聴かせてもらって、たくさん勉強しました。

それで、そのライブも小浜さんに誘われて聴きに行ったんですが、打ち上げで三線弾きながら歌ったら、すごく盛り上がって。僕の唄を聴いたリスペクトレコードの高橋(研一)社長から、小浜さんに「次は与那国の唄のCDを作りましょう」と提案があって、小浜さんがプロデュースを引き受けてくれて、このアルバムを作ることになりました。

—-実際にアルバムを制作してみて、与那国の唄に対する認識や思いに変化はありましたか?

與那覇 アルバムを作る前も、島の唄に対する愛着と探求はありましたが、作った後はそれがまた高まったと感じています。島の唄をもっと知りたい、もっと勉強したいと思ったし、やっぱり僕は与那国の唄が好きなんだな、と実感しました。

僕は高校を卒業した後、県立芸大(沖縄県立芸術大学)に入学して琉球古典音楽(以下、古典)を学んだんですが、大学は途中で辞めて、20代半ばで与那国島に帰ったんです。(帰島の)直接のきっかけは父が病気になって、その仕事を手伝う必要が出てきたからですが、自分でも「僕がやりたいのは島の唄だ」という思いがあったから、これ以上大学で古典を勉強しなくてもいいかな、と。それよりも、「いま島に帰らないと歌えない唄がある」と思いました。大学を中途半端に辞めたことに対しては、自分の中で引け目もあったんですが、それ以上に(島に帰ってきたことによる)収穫は大きかったです。島に戻って今年で10年になりますが、島で唄三線が関わる行事にはほとんど参加していて、これは島にいないとできない経験なんです。あのとき帰ってこなかったら、こんなに島の唄を勉強することはできなかっただろうと思います。

また逆に、中退はしたけど大学で学んだという経験は、そこで出会った同級生や先生方との人間関係も含めて、今、島の唄を歌ううえですごく役に立っています。たとえば古典を歌うときは、あんまり唄が横揺れしないように、淡々とした歌い方で波を作っていくんです。でも僕が島の唄を歌うときは、もっとザラザラ、モサモサした歌い方のほうが心地いいと思っていて。「とぅばるま」も歌うたびに違う歌い方になるんだけど、どれも自分の唄だから(古典を歌うときのようには)気にしません。そういう違いも、古典を勉強したことでより深くわかるようになりました。ただ、今になって「もうちょっと古典をちゃんと勉強しておけばよかったかな」とも思います(笑)。島でも組踊の地謡をする機会は多いので。

※琉球古典音楽は組踊の伴奏としても使われる。

●唄も民具も、与那国の歴史そのもの

—-いま、與那覇さんは島の行事や伝統芸能に参加する一方、島特産のクバの葉を使った民具の製作店を営んでいるそうですね。民具作りを始めたのはいつ頃からですか?

與那覇 民具を作る技術自体は、子供の頃に周りの大人が作ってるのを見て覚えました。草履とか俵とか、縄とかね。お金をもらって作るようになったのは、高校時代からです。貧乏高校生だったので(笑)、琉球舞踊用の民具店では売ってないようなものを作って、欲しいという人に売ってました。獅子舞で使う獅子も作りましたよ。あと、高校時代は伝統芸能の舞台で裏方のアルバイトもよくやってました。タダで芸能を見て、お弁当食べて、バイト代もらって、いい仕事でしたね(笑)。

島に帰った後は、父の仕事を手伝ったり、民謡酒場を手伝ったり、ゴミ収集の仕事をしたりと何でもやりましたが、3年前から民具作りを専業にしました。それはもちろん「民具作りが好きだから」っていうのもありましたが、この仕事を本気でやるんだったら、30代に入ったばかりの今しかない、と思ったんです。民具1個をきれいに作るのは誰でもできるし、兼業でもやれるけど、量をこなすには早く作れるようにならないといけないから、専業でやろうと。実際に専業になってみると、これでお金を稼がないといけないから仕事に対して真剣になるし、いろいろな意味で鍛えられましたね。

そしてもう一つ気付いたのは、「これはやめたらいけない仕事だ」ってことです。民具作りは今、やれる人も少ないから、がんばったら当分飯は食えると思うけど、もしこの先(民具作りで)食えなくなって、僕が生活のために別の仕事を始めたとしても、「民具を作って売る」という作業自体はやめたらいけない、と思いました。これをやめたら、島の歴史がなくなるから。民具には唄のように歌詞はないけど、言葉になっていない歴史があって、僕は昔の人が作っていた縄や傘を作ることで、彼らとつながっているんだと思ったんです。民具も唄も、どちらも与那国島の財産なんですよ。…と言いながらも、結局は自分が好きだからやってるだけですけどね(笑)。ちなみに僕が作る民具は、お土産用じゃなくて実用品。実際に仕事に使う人が注文してきます。

●生まれてから死ぬまで、いつもそばに唄がある

—-今回のアルバムでは、與那覇さんの他に唄と囃子で奥さまの桂子さん、唄と箏で妹の太田いずみさん、そして笛で与那国在住の陶芸家・山口和昭さんが参加されていますね。

與那覇 はい。奥さんは(沖縄本島の)中城の出身で、もともとは琉球舞踊が専門なんですが、結婚してからは僕が唄をやるので、囃子を覚えてもらって一緒に歌ってます。妹は小さい頃から唄を歌ってて、県立芸大で琉球箏曲を勉強しました。今回のアルバムでは、箏の譜面をすべて自分で起こして弾いてくれてます。

そして山口のおじぃは、横須賀出身ですが30年以上与那国に住んでいて、島の祭りにはいつも笛で参加してて、ケーナ(ペルーやボリビア発祥の縦笛)も吹ける人です。今回、おじぃの存在はとても大きかったですね。たとえば「ナナチガニ」という笛の曲がありますが、この曲は今まで市販のCDに収録されたことがなくて、今回が初の音源になるんです。あと、アルバムの最後に入ってる「みらぬ唄」は葬式の時に歌われる唄で、最後に笛のメロディが入ってくるんですね。それは人が死んだとき、お墓で最後に歌うメロディなんですが、その一部がわらべ歌の「ハララルデ」と一緒なんですよ。人生の最後に送る唄と、人生の最初のほうに歌う唄がまったく同じ、という。

—-まさに、唄と共に人生がある。

與那覇 ええ。与那国では、人は生まれてから死ぬまで、いつでも歌ってるんです。生まれたらわらべ歌で育てられて、労働歌を歌いながら働いて、豊年祭とかの年中行事で歌い踊って、日常の機微は「とぅばるま」で表現して、悲しい別れのときは「すんかに」を歌う、みたいな。今回のアルバムでは、そうやって僕が歌ってきた島の唄を選んで収録しています。このアルバムをどんな方が聴いてくれるのか、僕にはぜんぜん予想がつかないけど、たとえば「普段聴いている民謡とはちょっと違ったものが聴きたいな」って方に、「与那国にこんな唄がありますよ」って届けられたらいいな、と思います。「似てるけど、違います」みたいなね(笑)。沖縄本島や八重山の民謡とはまた違う、僕の大好きな与那国の唄を聴いてもらえたらと思います。
(取材&文・高橋久未子/撮影・喜瀬守昭)

與那覇有羽(よなは・ゆうう)

1986年、与那国島生まれ。幼少から島の民謡や芸能に親しんで育ち、2001年に沖縄本島の南風原高校郷土文化コースに進学。その後は沖縄県立芸術大学で琉球古典音楽等を学び、2011年に帰島。現在は島特産のクバの葉を使った民具の製作店を営みつつ、島内外で演奏活動を行っている。

[CD Info]
與那覇有羽『風の吹く島~どぅなん、与那国のうた~』
リスペクトレコード
RES-326
2,800円(税別)
2020/9/23発売

どぅなんとぅばるま/猫小節/どぅんた(今日が日節~すゆりでぃ節)/ちぃでぃん口説~しゅうら節/でぃらぶでぃ節/とぅぐる岳節/いとぅぬぶでぃ節/六調節/与那国のわらべ唄(中山ぬ神仏~どぅなんだぎ~北ぬさんか゜いてぃ)/旅果報節(旅御前風)/嫁入唄/与那国小唄/若船でぃらば/ゆさぐい節/来夏節~うぶだみてぃ節/どぅなんすんかに/与那国ストトン節/道唄/ナナチガニ/ありし波多浜/みらぬ唄

http://www.respect-record.co.jp/discs/res326.html