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箆柄暦『二月の沖縄』2011 登川誠仁

2011.02.01
  • レビュー
箆柄暦『二月の沖縄』2011 登川誠仁

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箆柄暦『二月の沖縄』2011
2011年1月31日/094号

 

 

 

《Piratsuka Special》
登川誠仁
誠小の歌とゆんたくに酔う、至福のひととき。

 東京が猛暑に見舞われた昨年夏、八月二九日の夜。これまでも数多の沖縄系アーティストに演奏の機会を提供し、東京の沖縄音楽シーンを盛り上げてきた表参道のライブハウス「CAY」の舞台に、沖縄民謡界の現役最高峰シンガー、“誠セイ小グヮ”こと登川誠仁が立っていた。昨年春に発表した新作『歌泉(うたぬいじゅん)』を引っさげての、県外では久しぶりとなるオールスタンディング・ライブハウス公演。

 広いフロアを埋め尽くしたヤマト(本土)のファンの前で、誠小は御年七七歳ならではの円熟の歌三線を、とてもその歳とは思えぬ力強さで演奏し、サポートを務めた若き愛弟子の仲宗根創はじめ・仲村奈月とともに、満場の喝采を博した。歌の合間に挟んだユーモア満点のゆんたく(トーク)も含めれば、たっぷり二時間以上の大熱演。この“いまの誠小”の魅力を凝縮した貴重な一夜の音源が、遂に二枚組、しかもノーカットの完全収録盤で世に出ることになった。

 誠小といえば、本土では映画『ナビィの恋』のオジィ役で初めて知った、という人も多いかもしれない。だが、もともとは十六歳から沖縄芝居の地謡(じうてー/歌・伴奏担当)として修行を積み、三十代に入る頃には沖縄中に実力派の歌い手として名を馳せていた、いわば民謡界のスーパースターである。その独特の飄々と嗄れた渋い歌声、“美ちゅら弾き”と称されるキレのいい三線は、七十代に入ってよりいっそう深みを増しており、ライブでも名調子は健在。

 特に今回は、『歌ぬ泉』にも収録した沖縄本島の民謡や自身のオリジナル曲に加えて、八重山や宮古など、先島諸島の民謡も次々と歌われた。本人は「私は八重山の人じゃないから、(自分の歌が)本物かどうかわからないが」と言うが、叙情歌「トゥバラーマ」の切々たる響き、十五分にも及ぶ「ユンタメドレー」の朗々とした歌い回しなど、どの曲にも誠小だからこその味わいがあり、じっくりと聞き入ってしまった。

 そしてもう一つ、ライブならではの聞きどころが、歌と歌の間をつなぐゆんたくである。今回もステージに上がるなり「今日は二時間くらい演るから、(途中トイレに行かなくてもいいように)パンパース履いてきました」とジョークを飛ばし、その後も「年が年だから。四十歳過ぎたらこんなもんです」「入れ歯を飛ばさないように歌います」等々、絶妙の間でトボケては笑いを取る。この滑稽洒脱なゆんたくと、ド迫力の誠小節とを交互に繰り出されたら、もう聞き手は陶酔するしかない。ホールコンサートと違い、客席との距離が近いためか誠小も終始ノリノリで、終盤の「唐とう船しんドーイ」では自ら楽しげに立ち上がり、カチャーシーを踊っていたのが印象的だった。

 以前、誠小は「ワシの歌はいくつあるかわからん。気持ちよければどんどん出てくるから」と語っていたが、この日のライブはまさにその「気持ちいい」ひとときだったのだろう。密度の濃い歌とゆんたくが、まるごと堪能できる百三十八分二十九秒。沖縄民謡ファンには“旧正月のお年玉”となりそうな一作である。
(文/高橋久未子、撮影/福岡耕造)
 

登川誠仁(のぼりかわ・せいじん) 1932年生まれ。16歳で劇団「松劇団」に地謡見習いとして入団。その後さまざまな一流劇団で地謡を務め、琉球古典、民謡、舞踊など沖縄芸能の基本を学ぶ。60年代の民謡ブーム以降は沖縄民謡界を代表する歌い手として活躍。99年には映画『ナビィの恋』に出演、全国規模で幅広い人気を得た。琉球民謡協会名誉会長、登川流宗家。

◆登川誠仁
『登川誠仁ライブ!〜Just One Night at CAY 2010.8.29〜』

リスペクトレコード RES-178〜179(2枚組) 
2011/2/23発売 3,300円
[Disc1]歌ぬ泉/祝い節/固み節/南風原口説/石川かぞえ唄/遊びションガネー/加那ヨー/ヤッチャー小〜カイサーレー/トゥバラーマ〜誠小の六調節/[Disc2]ちんだら節〜マンガニスッチャ/池間大橋/朝花/ナークニー〜ハンタ原/ヌンヌクソイソイ/あやぐ/伸び行く石川/ユンタメドレー(ユンタショーラ〜猫ユンタ〜山原ユンタ〜コイナユンタ〜崎山ユンタ〜新安里屋ユンタ〜安里屋ユンタ)/唐船ドーイ/渡りゾウ〜滝落とし(登川誠仁太鼓乱れ打ち・ボーナストラック)

 
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